アマチュアバンドをやってた頃 パート4
アマチュアであっても大事なのは練習、当時でもなかなか場所はありませんでした。 最初はまとめ役をやっていたメンバーの店の2階を使っていたが、いつも迷惑をかけるわけにもいかないので、農家の物置とか山奥の住宅工事現場とか、いろんなところで練習をしていました。しかし「たたけば良くなるホッケの太鼓」
団塊の世代で、夢を描いてきたがもうこんな歳に?なにをどうするか、気が焦るだけで、時が過ぎるだけ、同世代を見るとボランテイアに汗流している方もいらっしゃるが、わたしも「何かどこかにおちてないかい」と下ばっかり見ていられません。
アマチュアであっても大事なのは練習、当時でもなかなか場所はありませんでした。 最初はまとめ役をやっていたメンバーの店の2階を使っていたが、いつも迷惑をかけるわけにもいかないので、農家の物置とか山奥の住宅工事現場とか、いろんなところで練習をしていました。しかし「たたけば良くなるホッケの太鼓」
このころだったろうか、バンドの方はなかなかでもあり、何かやらないかという話になり、当時はエレキバンドが乱立していたので、周辺のバンドを集めてフェステイバルをやらないかという話になり、当時の体育館を借りて行った。 結果は体育館を満員にすることは出来なかったが出演バンドと審査員への御礼は何とか出せたし、打ち上げの費用も出たと思ったので、まあまあ小成功という所でした。
指使いはあやしいけど、音だけは何とか満足に出せるようになってきた、これはロングトーンに時間をかけたのがよかったかも、当時は部屋の中では人の迷惑になるので河原に持って行き思いっきり音を出していました。
自然と音楽には興味があったのだろうか、高校を中退して名古屋にいったが、17歳の頃か、自分でFMステレオラジオを作ってイヤフォンを2本使って当時始まっていたFMラジオを聞いていた。
タミフルなるものを処方してもらって、早速飲んだが、何と~~~~ 月曜日の夜は七転八倒で、布団が鉛のように重い~~~~ しかし、火曜日の朝には37度台に下がってくれた。 このままのんでればいいのかな・・・ と思ったんだが、2日目、3日目になったら・・・・ 具合が悪くなってきて、ネットで調べたらタミフルの副作用が、ずばりのようで・・・
すでに先立ってしまった父や兄も、みんな若かった頃の思い出深い写真である。
余裕というと、時間は何とかやりくりすれば作れると思うんですが・・・お金の余裕は・・・・残念ながら、若い頃からお金には縁が薄くてね~~~~
迷った時、困ったとき、悩んだ時にこんなことを思い出すようにしました。
いつの間にか年月だけが過ぎていってしまって、いい思い出はいつまで残ってます。山形県の温泉と大雪で有名ですね、肘折小中学校をバックにした写真です。 懐かしい思いでいっぱいの地です。