悠久山の思い出

ふと思うこと・・

私が長岡に始めてきたのは、ずいぶんと昔のことである。
当時、家族は六日町(現在は南魚沼市)という所におり、私はせっかく入学した高校を中退して、いったん名古屋に出たが、2度目の挫折だったか、家に戻ってきてフラフラしていたときではなかったかと思う。
そんな時に当時父がつとめていた職場で花見に行くということで便乗してきたのだったと記憶している。

すでに先立ってしまった父や兄も、みんな若かった頃の思い出深い写真である。ふと思うこと・・       1966_04_01.jpg

しかし当時とはちがって、今は食堂もなくなってしまって様相は変わってしまったが、桜の木だけは変わらずきれいな花を咲かせてくれていた。
悠久山は東山連邦のふもとに位置し、「おやま」と呼ばれ親しまれているところです。旧名は三官山と呼ばれる禿山だったが、越後長岡藩3代目藩主牧野忠辰により佐渡国産の杉が植樹されたのが縁で10代目藩主牧野忠精により長岡城城内東隅にあった牧野忠辰を祭神とした蒼柴神社が移転され、「蒼柴の杜」とも呼ばれていました。蒼柴神社移転に併せて入込無用殺生禁断の聖地とされ、社地を「悠久山」と命名されました。 1982年に済海寺旧越後長岡藩主家牧野家墓所の悠久山への改葬が行われました。

ふと思うこと・・

地元では「お山(御山)」の愛称で親しまれている悠久山ですが、今悠久山というと西側の桜の名所を差すようになっているが元々は山全体をいっていた、そしてサクラなんだが、3代目藩主牧野忠辰の愛好した花であり「お山の千本桜」と称されています。

公園内には桜だけでなく、子どもの遊べる遊具や小動物園、中央には広場があり東山方面のピクニックには最適なところになっています。花は桜だけでなくツツジ、花菖蒲、紅葉、雪景色と四季を通じて楽しめる場となっています。

そういえば1999年に閉鎖されているが、スキー場もあったのを思い出す、その当時の思い出で当時つきあっていた妻(すでに先立ってしまった)と当時あった越後交通の電車に揺られて悠久山駅まで来て、ひょうたん池を眺めながら頂上まで上がったことがありました、当時はまさか自分達が家を作って落ちつくところだとは考えてもいなかったが、人生というのは不思議なものですね。

ふと思うこと・・

また、この周辺には悠久山野球場や長岡大学、長岡工業高等専門学校などもあり、ちょっと奥の間には市営スキー場や牧場もあり、ハイキングにもおすすめできるところとなっています。

しかし、2004年の新潟県中越地震では悠久山周辺地域の被害は長岡市の中心部に比べて大きく、倒壊した石塔などもところどころにそのままとなっています。

ふと思うこと・・

悠久山は冬は雪の中に埋没しているが、春から夏までは緑の絨毯に、秋は紅葉に覆われて憩いの場所となっています、しかし自然は貴重になってきたように思えます、私達は自然との調和というものを大切にしていかなあければいけないのだろうが、最近は宅地に変わってしまってどんどんと緑がなくなってしまって、この先どうなっちゃうんだろうか、私たちは限られた自然を少しでも未来にのこさなければいけないですね、このような緑地地帯、もっと大切にしていかなければいけないと思います。

Sponsored Link
Sponsored Link

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

Sponsored Link
Sponsored Link