アマチュアであっても大事なのは練習、当時でもなかなか場所はありませんでした。
最初はまとめ役をやっていたメンバーの店の2階を使っていたが、いつも迷惑をかけるわけにもいかないので、農家の物置とか山奥の住宅工事現場とか、いろんなところで練習をしていました。しかし「たたけば良くなるホッケの太鼓」これはいつもいってました、誰が言い出したのか忘れましたが、今チェックして見たらホントウは「だんだん良くなる法華の太鼓」なんだそうで、この意味は最初はぎこちなくても繰り返していると良い感じになることを言うんだそうです。
私のサックスも何とか聞けるものになってきたようで、何とか他の楽器をリードできるようになった。すでに50年も昔の話ですがロングトーンの練習と、通信教育でプロの音を繰り返し聞いていたことが役に立ったのかもしれません。
ただ、テクニックは残念だがまだまだ、16分音符の連符などは無理だったので簡略化して何とか曲らしきものがまとまり始めました。
この地域で盛んだったのはエレキバンドがほとんどで、サックスが入ったバンドはめづらしかった、そんなことで「がんばれば人気者になれるぞ」という気持ちになったのかもしれないですね。
そんなこんなでがんばったが、その夏のお盆の祭りでの活動は間に合わなかったが、その秋になってチャンスが巡ってきた。
それは、私が勤めていた会社で、何とダンスホールを始めるというのです。
そこでやってみないかという事になり、あれよあれよという間に話が進んでいきましたけど・・
場所は 新世紀 というダンスホール、最初は近くに町営の体育館があるだけでしたが、坂戸山の麓であり、ここにはスキー場がありました。またこのホールができてからだが、裏にボーリング場が出来、正面には温水プールができました。
もう50年前のことなので覚えている人は相当の高齢ですよね。
それでは、今日はこのあたりで・・・