アマチュアバンドをやってた頃 パート3

何とかメンバーは集まったんだが、腕の方はなかなか上達せずで、それでも続いたのは練習が終わった後のみんなでのふざけ話と酒かも知れない。
メンバーの1人の実家のモツ屋はいいたまり場になっていました。今はどうなってるんだろうかな、20年前に脱サラしてからはほとんどいくこともなくなってしまったんで、当時の六日町と塩沢は懐かしい思い出の多い土地です。

 さて、このころだったろうか、バンドの方はなかなかでもあり、何かやらないかという話になり、当時はエレキバンドが乱立していたので、周辺のバンドを集めてフェステイバルをやらないかという話になり、当時の体育館を借りて行った。
結果は体育館を満員にすることは出来なかったが出演バンドと審査員への御礼は何とか出せたし、打ち上げの費用も出たと思ったので、まあまあ小成功という所でした。
その後もヤロウかという意見も合ったが、準備などにけっこう時間を取られることもあり、ついに第2回は開催されることはなかったのは、今となっては残念な事だったかも知れない。それこそ今の車社会だったらもう少し盛大に開催も出来たかも知れないが、いい経験になったことは確かです。
また、これをやることで、バンドの練習にも精が出るようになったのも結果的にはよかったかも、そんな時にドラムがいなくなってしまって・・・・
いない間も練習は続けてはいて、何とか数曲はこなせるようになってきたのに、ドラムがいないとやはり中途半端で・・・
「お医者さんでドラムをやってるのがいるんだってさ」
という話がガソリンスタンドに勤めている友人からあり、早速みんなで会いに行くことにした。
 アパートにお邪魔したら、何と中にドラムが一式置かれていた。
長野県から来た方だが、向こうでやっていたという話で、しかもどちらかというと私達の求めているものでもあり、誘った結果メンバーとして入ってくれるとのことで、これがきっかけでいよいよ本格的な練習が始まりました。

いろいろと練習はしたが、いの一番は「夜霧のしのびあい」でした。この曲はクロード・チアリ氏のギターなんだが、私達の場合はテナーサックスをフューチャーしてどちらかというとサムテーラーのナンバーに近かった記憶があります。

それでは、また・・・・

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